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【小林耳鼻咽喉科医院】 世田谷の耳鼻咽喉科 めまい 耳鳴り アレルギー性鼻炎 耳鼻科

太平洋戦争の本について

今日も一日かなりの暑さでしたね。

 

 

小学校時代、8月のお盆の頃には

朝からテレビで太平洋戦争に関する番組がずっと流れていて

広島、長崎の原爆の悲惨な映像を毎年見ていました。

 

 

日本が太平洋戦争で果たした役割として、

アジア諸国の独立のきっかけとなった事が挙げられます。

 

 

最近読んだ戦争についての本を紹介します。

 

F機関

アジア解放を夢見た特務機関長の手記

藤原岩市

 

 

昭和16年9月、藤原岩市少佐は秘密工作機関長として

バンコクに派遣されました。

表向きの身分は在バンコク大使館武官勤務でした。

 

目的はマレー人、インド人、華僑などを

心理戦で味方にする事です。

 

この特務機関は藤原少佐のFと

自由(Freedom)友情(Friendship)

の頭文字から、F機関と呼ばれました。

 

 

真珠湾攻撃以降日本軍が

マレー、シンガポールに侵攻し

短期間に勢力を拡大し

現地でスムーズに活動できたのは、

あらかじめ潜行していたF機関の活躍のお陰です。

 

 

F機関のメンバーである神本利男

現地在住のマレーのハリマオ、谷豊と接触し、

現地の詳細な情報を得ました。

 

後に怪傑ハリマオのモデルとなる谷豊は

イギリス軍の機関車の転覆や電話線の切断、

英軍支配下のマレー人義勇兵に対する心理戦などを行い、

日本軍は戦局を有利に戦いました。

 

 

マレー戦でイギリス軍に属していた

インドの兵隊が投降すると

藤原少佐は母国インドの独立に立ち上がるよう説得し、

日本軍はその活動を全面的に支持すると表明しました。

 

 

藤原少佐は投降したインド兵と親睦を図るため

機関員とインド人将校との会食を催し、

インド料理を手づかみで食べて

インド人との心の交流を実現、

それまで英軍内ではインド人将校は同席の会食は許されず、

将校達は大変感激しました。

 

 

藤原少佐の考えは、

「日本の戦いは住民と捕虜を真に自由にし、幸福にし、

また民族の念願を達成させる

正義の戦いであることを感得させ

彼らの共鳴を得る物でなくてはならぬ。

 

われわれは武器を持って戦う代わりに、

高い道義をもって戦うのである。

われわれに大切な物は、力ではなくて

信念と至誠と情熱と仁愛である。」

というものでした。

 

 

その後のシンガポール陥落時には

一万人を超えるインド人捕虜を

全て新たにインド独立のための解放軍

インド国民軍  Indian National Army ; INA)

として編成しました。

 

インパール作戦では自由インド仮政府首相

チャンドラボーズ率いるINAと

共同で戦闘しましたが、

無謀な計画が災いして敗れました。

 

 

インドが400年にも及ぶイギリスの統治から

早期に独立できたのは、

このインド国民軍(INA)の影響が大きく、

戦後INAが英印軍に対して反乱を起こしたとして

裁判にかけられたことが契機となり

2年間にも及ぶインド国内の暴動が起こり、

大量の死傷者が出たために

イギリスは統治権を返還し、

遂に1947 年にインドの独立が実現しました。

 

 

歴史的に日本とインドとは深いつながりがあり、

今後もその関係は続いて行くでしょう。