日曜日は晴れて
気持ちいい一日でした。
お出かけ日和でしたので
病院前の遊歩道を散策し、
国士舘大学方面に歩いて
経堂近くまで行ってきました。
病院から30分ほど歩くと
世田谷線の宮の坂駅があります。
その近くに世田谷八幡宮があります。
寛治五年(1091年)後三年の役の帰途、
源義家が宮の坂の地で豪雨に遭遇し
天気回復を待つため、
10日ほど滞在することとなります。
今度の戦勝は日頃氏神としている
八幡大神の御加護によるものと深く感謝し、
豊前国(大分県)の宇佐八幡宮の御分霊を
この地に勧請し、八幡大神としてお祭りしました。
八幡神は、古来より武運の神として
日本中の武家が崇めてきました。
神道では第15代天皇である応神天皇を
八幡神としています。
世田谷八幡宮は八幡大神(応神天皇)
仲哀天皇
(第14代天皇、応神天皇の御尊父とされる)
神功皇后
(仲哀天皇妃、応神天皇の御母堂とされる)
の3神を祭神として祀っています
参拝する方もたくさんいらしていました。
宮の坂駅の近くには
お洒落な和菓子屋さんがあります。
駅を挟んで反対側には
招き猫で有名な豪徳寺があります。
寛永10年(1633年)に世田谷が
彦根藩の所領地となり、
文明12年(1480年)吉良氏により
建立されていた弘徳院を
彦根藩主井伊家が江戸菩提寺と定めました。
江戸幕府の大老
の墓もあります。
境内にはまねき猫の置物が
たくさんあります。
地域風景遺産となっています。
足利尊氏を祖を同じくする吉良氏は
南北朝時代から戦国末期に至る
約220年間この土地を領地としていました。
1360年頃、足利尊氏の子、基氏から
世田谷領を与えられました。
戦国時代には小田原を拠点に
関東一円を支配した
北条氏の庇護下にありました。
天正18年(1590年)の秀吉による
小田原征伐で北条氏が滅ぶと、
吉良氏は下総に逃れ
世田谷城は廃城となります。
江戸時代に甲州街道が開設される前
瀧坂道は江戸と府中を結ぶ街道でした。
瀧坂道は渋谷の道玄坂で
大山街道から分かれ世田谷区内を通り、
調布市で甲州街道に合流します。
かつての旧道をたどることが出来て
世田谷の古い歴史を
再度見直したいと思いました。
経堂駅前の商店街には
知人が経営している
カシエルという
ドイツワインの専門店があります。
オーナーご夫妻のとても丁寧な接客と
歴史やドイツについての豊富な知識で
ドイツワインの素晴らしさを伝えて下さいます。
クリュッグなど有名なシャンパーニュは
ドイツ人が創業者であることを
初めて教えてもらいました。
世田谷線沿線には見所も多く
晴れた日の遊歩道の散策は
いい気分転換にもなりました。
これからも地元のさまざまな情報を
発信していきたいと思います。