【小林耳鼻咽喉科医院】 世田谷の耳鼻咽喉科 めまい 耳鳴り アレルギー性鼻炎 耳鼻科

熊本城のしゃちほこ

今日も晴れて気持ちの良いお天気でしたね。

 

 

2年前の4月に大地震で被災した熊本城のしゃちほこが

ようやく2体修復されました。

 

 

城全体の修復はまだ未完成ですが

これまでの一つの区切りとして

復興が順調であることが印象づけられました。

 

 

母の実家が熊本なので

親戚の皆さんもとても喜んでいます。

 

 

両親と親戚はみんなで熊本城主となっています。

 

 

 

 

父は熊本大学医学部で

サッカー部の創設メンバーです。

 

 

母は熊本の日銀に勤務していました。

 

 

震災後の復興が順調で

きっと天国の両親も喜んでいると思います。

 

 

熊本城主は戦国時代、虎退治で有名な

加藤清正です。

 

 

加藤清正は尾張で生まれ、幼名を虎之助といい

母が豊臣秀吉の母親と従姉妹の関係で

11歳の頃より秀吉の小姓となりました。

 

21歳で賤ヶ岳の戦い(しずがたけのたたかい)

で武功をあげ、七本槍の一人に数えられます。

 

26歳の時、秀吉の九州遠征に従軍し

佐々成政が肥後国を没収されたため

肥後の領主、隈本(熊本)城主となります。

 

豊臣秀吉の文禄、慶長の役

では尖兵として漢城府(現在のソウル)を

攻略するなど多大な功績をあげましたが、講和をめぐり

 

石田三成

 

 

小西行長

 

 

と対立、秀吉から謹慎を命じられました。

 

 

秀吉の死後は徳川家康と接近し

関ヶ原の戦いでは九州の西軍をことごとく撃破して

功績を挙げ、戦後肥後南部54万石の大名となりました。

 

 

特に築城の名手として知られ

石垣は武者返しと呼ばれる独特の形状をしています。

 

 

裾野はなだらかですが、上に行くに従い急峻となり

外敵の侵入を防ぐ構造となっています。

 

 

今では銘菓として武者返しというお菓子があり

これは甘さ控えめでお薦めです。

 

 

母も生前、男前の芸能人を見ると

「武者んよか〜」と喜んで話していたので

とてもなじみのある名前です。

 

 

今年は母の13回忌でもあり

近いうちにお墓参りを兼ねて熊本にも行き

加藤神社にもお参りしたいと思います。