【小林耳鼻咽喉科医院】 世田谷の耳鼻咽喉科 めまい 耳鳴り アレルギー性鼻炎 耳鼻科

父の思い出

父 小林康夫は昭和9年の今日

7月10日に世田谷の若林で生まれました。

忠犬ハチ公の銅像が出来た年です。

 

六人兄弟の末っ子で、身体が虚弱であったため

祖父の小林 新が、心身共に健康に育つよう

康夫と名付けたそうです。

 

祖父 小林 新

 

熊本大学医学部では、

サッカー部創設の中心メンバーでした。

学生時代サッカーに全力で打ち込み

充実した青春時代を過ごし

卒業以降は東京に戻って来てからも、

毎年のように熊本大学のOB戦に出場していました。

 

24歳

 

27歳 熊本城前で

 

親友の吉岡政満先生と

 

サッカー好きが高じて四十雀(しじゅうから)という

メキシコオリンピックで活躍した選手などが所属する

チームにも参加して

元旦には国立競技場まで

天皇杯を観戦に行くのが毎年の恒例行事でした。

 

国立競技場での勇姿

 

父の影響もあり、私も大学でサッカーを始めました。

 

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母は熊本出身で、家では熊本弁での会話が飛び交い

「なんばしよっとね?」「どぎゃんしたつね?」

などとかなりにぎやかな毎日でした。

 

そんなとても仲の良かった両親は、

子供達にたくさんの愛情を注いでくれました。

 

父(29歳)と 笑顔の私(1歳くらい?)

 

毎日懸命に働いて兄弟三人の学費を稼ぎ、

母との二人三脚で忙しい外来をこなしていました。

 

 

 

祖父とは父が幼い頃に死別したためか

父はかなり厳格な性格でしたので

子供達は父の言う事には絶対服従

勉強も毎日遅くまで見てくれましたが

出来が悪かったり暗記できない時には

猛烈に怒られました。

 

 

運動会では父の指示で足袋を履くこととなり

他の友達が運動靴で参加していたので

かなり恥ずかしかったのですが

お陰で徒競走で一位となり

父の教えを守って良かったと思いました。

 

 

 

母に先立たれた晩年は

小中学時代の同級生との交流を深めて

思い出の地を巡っていました。

 

平山證さん、中島良郎さんと 環翠楼にて

 

 

父の示してくれたどんな患者さんにも真剣に向きあって

全力で治療に当たる

「患者さん第一主義」を

これからもずっと継承していきたいと思います。

 

 

また近いうちに、熊本の母の実家近くにある

お墓参りにも行こうと思います。