【小林耳鼻咽喉科医院】 世田谷の耳鼻咽喉科 めまい 耳鳴り アレルギー性鼻炎 耳鼻科

今日は終戦の日です

8月15日は終戦の日です。

 

 

小学校の頃は8月に入ると

連日テレビで終戦直後の焼け野原の様子や

原爆の被害者の写真など

当時の日本の悲惨な状況を

何度も見ていて

戦争を二度と起こさないことが

大事だと思いました。

 

 

 

沖縄での地上戦での

戦争体験者の

貴重な記録を読むと

激戦地の悲惨な状況に

胸が締め付けられる思いがします。

 

 

みたままつり

靖国神社に行った際

戦場での写真や

特攻隊の方の遺書を見て

米軍との圧倒的な軍事力の差がある中

精神力で対抗するという

絶望的な戦いを強いられて

最後まで戦い抜いた人々の

祖国に対する真摯な思いに

胸を打たれました。

 

 

 

以前読書記録に記載した

英霊の絶叫

 

 

の舩坂弘さんの体験は強烈です。

 

 

 

激戦の地、アンガウル島

敵の砲弾で左大腿部に広範囲に損傷を受け

さらに腹部損傷、左肩、右足にも負傷し

這いつくばりながら自陣洞窟に戻り

軍医には傷がひどすぎるため

自決用の手榴弾を渡されただけで

治療もされずにいました。

 

一時は死を覚悟した後に

冷静になって

通常の心を保つことが大事だと思い直し

たとえ片腕だけでも動かせる限りは

戦い抜くと決意して

夜間に移動を繰り返します。

 

 

洞窟の入口で

3人のアメリカ兵が

地雷を設置している場面に遭遇。

 

見張りの兵士を銃撃後

一人に銃剣で襲いかかり

頭を殴られながらも

もう一人に銃剣を投げつけて

そのまま意識を失います。

 

数時間後、周囲を見回すと

三人が息絶えている事に気がつき、

自分の運の強さを神様に感謝して

再び戦場に戻り

夜間に敵陣に進入を繰り返します。

 

 

 

 

自分の死に場所を探していると

アメリカ軍のベースキャンプを発見し

将校宿舎に身体に手榴弾を巻き付けて

突入し自決するという決意をします。

 

「われ太平洋の防波堤ならん」

「両親、兄弟の住む日本に

一歩でも米軍を近づけてはならぬ。

肉親達のために俺は死ぬ覚悟だ。」

 

悲壮な覚悟を決めて

敵陣背後より徐々に兵舎に迫り

右手に手榴弾、左手に拳銃

身体に5発の手榴弾を巻き付けて

相手の隙を見て突入します。

 

 

匍匐前進でじりじり進み、

あとわずかで目的を達成する目前で

米軍の銃撃により左頸部に

被弾します。

 

意識がもうろうとする中、

敵兵に囲まれて

軍医は手榴弾を握った指をほどきながら

「これがハラキリだ。日本のサムライだけが

出来る勇敢な死に方だ。」

と感嘆します。

 

 

 

捕虜となった後も

機会を見て反撃しようと脱走を試みるも

何度も失敗し、なぜそこまで命を粗末にするのかと

通訳のクレンショーにとがめられます。

 

日本の武士道の神髄は

大義に死ぬことであると

大和魂を説明するものの

なかなか理解を得られないと

二人は日米の多くのことにつき

語り合い、自然に友情が芽生えます。

 

 

捕虜として様々な収容所を経て

日本に帰国後も交流を続けた二人は

クレンショーが来日時

大和魂の印として日本刀をプレゼントします。

 

クレンショーは感激して

「これをフナサカサンと思って

大切にします。ありがとう。ありがとう。」

 

舩坂氏も刀を通して

大和魂が伝わったという思いで

胸がいっぱいになります。

 

 

日米の交流を通して

アメリカとの差は知識量の差であると

実感した舩坂氏は

渋谷の交差点にある大盛堂書店を設立。

 

 

これは日本初となる本のデパートで

収益金は遺骨収集や墓標の建立に

役立つこととなります。

 

 

自分が生きながらえたのは

戦場に散った多くの戦友の

心の叫びを後世に伝えるためだという

一途な思いで生き抜いた

舩坂氏の思いを含め

多くの市民の犠牲の上に

現在の平和な日本が成り立っていることを

いつも心に留めておきたいと思います。