広島と山口のちょうど中間地点にあり
時間がないためやむなく訪問を断念しました。
関ヶ原の戦いで毛利輝元が西軍の総大将となりますが
自らは出陣せず、一族の毛利秀元と
吉川(きっかわ)広家を出陣させます。
毛利輝元の兜
毛利家の親族である吉川広家は
徳川家康の勝利を確信していたため
親交の厚かった黒田長政を通じて東軍に内応し
毛利軍の動きを牽制し、本戦に参加することを阻止しました。
吉川広家
関ヶ原の戦いで敗軍の将となった毛利輝元は
徳川家康に申し出て自ら大阪城を退去します。
お家断絶の危機に瀕した毛利家でしたが
吉川広家は家康に対して、
今後輝元が少しでも謀反を企てた際には
自らの首を差し出すという起請文を作成し
家康から与えられた周防と
長門の二国を毛利家に譲りたいと願い出て、
これが受け入れられ毛利氏は断絶を免れました。
吉川広家の兜
その後吉川広家は米子城から移封され
現在の岩国の地に赴任した時より
岩国城が築城されました。
岩国城の近くには錦帯橋という素晴らしい橋があります。
独特の構造で見た目も美しく、
観光スポットとしても人気が高い橋です。
山口県には毛利博物館もあり、
錦帯橋と岩国城とともに
次回は是非訪問したいと思います。