【小林耳鼻咽喉科医院】 世田谷の耳鼻咽喉科 めまい 耳鳴り アレルギー性鼻炎 耳鼻科

上田城と小諸城

めまい平衡医学会に参加した帰りに

軽井沢から上田に移動して

 

 

真田家ゆかりの上田城を見て来ました。

 

 

上田城は天正11年(1583年)

真田昌幸

 

 

 

によって築城され

 

真田幸村(信繁)

 

親子が天正13年(1585年)

第一次上田合戦で徳川家康の7000余りの兵に対して

2000あまりの少数兵で城を守り切り

慶長5年(1600年)の第二次上田合戦では

関ヶ原に向かう途中の徳川秀忠

38000を越える軍隊に対して、3500人の兵で対峙し

二回とも相手を見事に打ち破った城です。

 

 

少人数で城から出たのちすぐに退却し

深い堀に相手の大軍を誘い込み

城から巨大な岩を落とし、鉄砲隊で一気に攻撃し

さらにせき止めていた川を開放して

大量の濁流で相手の大軍を翻弄するという

考え抜かれた作戦を実施したところを想像して

実際に現地で城を見ると、

当時の情景が思い浮かぶようでした。

 

 

その後には

第二次上田合戦で徳川秀忠が退却した

小諸城を見るために

地元のローカル線である「しなの鉄道」で小諸に移動。

ドアを手で開けて乗り込む電車でビックリしました。

 

 

 

小諸城は長享(ちょうきょう)元年(1487年)

大井光忠によって築城された城で、

小田原征伐での功績が認められた

仙石秀久

 

 

が慶長17年(1612年)に改修しました。

 

仙石秀久は美濃出身で織田・豊臣に仕え

讃岐国(香川県)高松城主となり

その後信州佐久郡を与えられて小諸城主となりました。

 

 

城郭は城下町である市街地よりも低地にあり

このため「穴城」とも呼ばれています。

 

国の重要文化財である大手門

 

 

は壮大でかなりの迫力がありました。

 

三の門

 

 

には徳川家達の筆による

懐古園の文字が見られます。

 

 

園内は静かで落ち着いた雰囲気で

島崎藤村の記念館などもあり

小学校時代に家族で訪問した記憶が少し蘇って

とても懐かしく感じました。

 

 

短時間の訪問でしたが

一人修学旅行もなかなか楽しかったです。

 

 

これからもいろいろな史跡を旅行してみたいと思います。