【小林耳鼻咽喉科医院】 世田谷の耳鼻咽喉科 めまい 耳鳴り アレルギー性鼻炎 耳鼻科

三島由紀夫と七生報國

終戦の日の今日は

日本の事を真剣に思い、

自衛隊市ヶ谷駐屯地で45歳で割腹自殺をした

三島由紀夫の事を思い出します。

 

 

三島由紀夫は大正14年生まれ。

都立戸山高校で私の担任であった山極圭司先生と

同じ東大出身で、同じ学年でした。

 

 

彼が昭和45年11月25日の自決に至るまでの発言です。

 

 

昭和45年7月7日、自決4ヶ月前の新聞紙上では、

「果たし得てゐない約束」と題して

自身の戦後25年を振り返り、次のような言葉を残しています。

 

 

私はこれからの日本に大して希望をつなぐことが出来ない。

このままいったら「日本」ではなくなって、

その代わり、無機質な、からっぽな、ニュートラルな、

中間色の、富裕な、抜け目がない、

或る経済大国が極東の一角に残るであろう。

それでもいいと思ってゐる人たちと、

私は口をきく気になれなくなってゐるのである。

 

 

自分の家にはいろいろな外国人が来る。

彼らが口々に言う事は、

日本のいちばん美しい部分が失われていくという

失望なんだよ。

 

 

我が国の歴史には楠木正成と言う

日本人の心に生き続けた南北朝時代の武将がいます。

 

 

1336年5月、楠木正成は兵庫の湊川で

足利尊氏の大軍と闘い

圧倒的に不利な状況の中、

最期の時に「七生報國」

(七度生まれ変わっては、國に報いる)

と誓って自刀しましたが

その忠節はその後も日本人の心を奮い立たせ続け

国難を乗り越える精神的な支柱となりました。

 

 

三島由紀夫が自決の際、頭には七生報國と書いた

鉢巻きを巻いていました。

 

 

壇上で彼は

「日本は経済的繁栄にうつつを抜かして、

精神的にはからっぽになってしまっているんだぞ。

それがわかるか!!」

と叫び、

 

 

その後約20分の演説を終えると

「天皇陛下万歳」と三唱した後

警視総監室に移動し、森田必勝とともに

古式に則り割腹自殺を図りました。

 

 

 

「生命尊重以上の価値の所在を諸君に見せてやる」

と言って自決した彼の本心はどこにあったのでしょうか。

 

 

 

 

日本人の国を顧みない精神的なふがいなさ、

物欲を中心として金にしか価値を見いださない現在の我々に

今を懸命に生きる事の大切さを

教えてくれているように思います。