【小林耳鼻咽喉科医院】 世田谷の耳鼻咽喉科 めまい 耳鳴り アレルギー性鼻炎 耳鼻科

秋田旅行に行ってきました

先月末に秋田旅行に行ってきました。

 

正月に江戸東京博物館で見た、佐竹義重の甲冑

 

 

があまりにも素晴らしかったので

是非ともまた見てみたいと思い出かけました。

 

秋田に佐竹資料館があると聞き

佐竹義重の甲冑があるか問い合わせたところ

現在は米沢市に貸し出しているとのことでした。

 

 

その他にも佐竹氏ゆかりの甲冑が展示されていると伺ったので

週末を利用して行ってきました。

 

 

秋田駅から徒歩で行ける場所に佐竹資料館があります。

 

秋田初代藩主佐竹義宣

かなりの強面です。

 

 

前面には毛虫を模した兜

この部分は熊の毛で作られていて、近くで見ると迫力があります。

 

この他にも佐竹氏ゆかりの甲冑が展示されていました。

 

三代藩主 佐竹義処

 

六代藩主 佐竹義真

 

 

家臣の中安氏

 

 

いずれも威厳のある甲冑でした。

 

その後同じ敷地内にある久保田城を見て来ました。

 

 

天守閣からは遠くに鳥海山が見えます。

 

 

秋田を後にして、羽後亀田にある

真田信繁(幸村)にゆかりのある由利本荘市

の天鷺(あまさぎ)村に移動。

 

 

天鷺城はとても綺麗でした。

 

 

佐竹家の側室となり、後に亀田藩の正室となった

真田信繁の五女

「御田(おでん)の方」にちなんだ展示がありました。

 

 

御田の方は、真田直(なお)といい

父が真田幸村、母方の祖父が豊臣秀吉の甥で

豊臣秀次です。

 

大阪夏の陣の後に江戸に連行され

大奥として勤めることになり、その後許されて

幸村の側室である母(豊臣秀次の娘 隆清院)

のいる京都に帰りました。

 

 

秋田藩主 佐竹義宣が弟の宣家と京都に上がった際

二条城の日野屋敷で給仕係として選ばれたのが

武家の礼儀作法の心得がある

顕性院殿(御田の方)でした。

 

 

ある朝御田の方が場内の女衆に

勇ましいかけ声で鎧兜を身につけて

なぎなたの指南をしている姿を見た佐竹義宣が、

あまりに素晴らしい立ち振る舞いに

どこの娘か問いただしたところ

自分が真田幸村の娘と打ち明け、

それを聞いて同情した佐竹義宣は

翌年弟の宣家の側室として迎えました。

 

御田の方が身に着けていた甲冑です。

 

 

その後に長男重隆を出産。

跡継ぎがいなくなった亀田藩主を幼い重隆が勤め

夫である宣家が後見人となり

亀田藩を治めることになりました。

 

後に宣家は正式に藩主となり、名を岩城宣隆と改め

御田の方も正室となりました。

 

顕性院殿(御田の方)は真田家を供養するため妙慶寺を建立。

真田家の再興を果たしました。

 

 

この時代正室は通例、出自の家名で呼ばれるため、

直は「真田の方」と呼ばれるはずでしたが、

徳川に立ち向かった真田の子孫であることを隠すため、

「真田」の「田」の字をとって、

「御田の方」と呼ばれたと言います。

 

天鷺村にはこの他に

真田信繁が身につけた赤備えの甲冑

 

 

が展示されていましたが、こちらもかなりの迫力でした。

 

 

秋田に真田幸村ゆかりの場所があるとは思わなかったので

嬉しい驚きでした。

 

 

 

 

 

 

今回は佐竹氏を訪ねていろいろな歴史を勉強できたので

かなり有意義な旅行になりました。

 

 

これからも歴史的に由緒ある土地に

出かけてみたいと思います。