今日は比較的おだやかで
過ごしやすい一日になりましたね。
葛飾北斎の絵は海外にも知られ
独特の画風が印象派を代表するゴッホ
画家たちに大きな影響を与えました。
浮世絵は江戸末期から明治初期にかけて、
美人や役者のブロマイド代わりに
数多く作成されましたが、
北斎でも現在の価格で500円程度でした。
西洋で北斎の絵画が発見されたのは、
輸出された陶器の緩衝材として
箱に入っていたものが
パリ在住の銅版画家ブラックモン
に発見されたのが契機でした。
1867年のパリ万国博覧会では
日本の江戸幕府、薩摩藩、佐賀藩の
伝統工芸品や浮世絵の美しさが
海外に広く知られることとなります。
林忠正は24歳で万博の通訳兼事務員として
1878年にパリに渡り、
その後起立工商会社に勤め、
副社長で日本美術専門家の
岩井兼三郎の元で日本美術を学び
印象派の画家たちとの交流を深めました。
パリで多くの文化人と交流し
顧客に頼まれて浮世絵を輸入して
良品を西洋に紹介しました。
当時の浮世絵は色合いが非常に艶やかで
特に海外の作家にインパクトを与えたのは
海外では珍しい多色刷りの版画技術で
構図と色彩が美しい風景画でした。
富嶽三十六景(ふがくさんじゅうろっけい)
は葛飾北斎が72歳の時の作です。
甲州三坂水面
池に映った富士山が雪を戴いている
不思議な作品です。
甲州石班沢
江戸時代、「藍摺絵」と呼ばれる
藍色の濃淡だけで作られた
錦絵が流行しましたが、
この浮世絵も
荒れた波と富士山との対比が美しい作品です。
印象派を代表する画家、
クロード・モネ(1840-1926)
は、自宅の庭に日本風の太鼓橋
(大きく丸く反ったアーチ状の橋)
を造るほどの日本愛好家でした。
この太鼓橋は、歌川広重の
「名所江戸百景 亀戸天神境内」
に出てくる橋をモデルにしたと言われています。
モネの代表作である
「睡蓮」の連作にも、
浮世絵の影響が見られる作品が数多く存在します
またラ・ジャポネーズという
妻のカミーユをモデルにした絵では
着物に描かれたサムライや
背景の団扇の無秩序な配列も印象的で
浮世絵の影響を強く感じます。
浮世絵の制作過程は複雑で
版元の注文によりまずは絵師が下絵を描き
彫り師がそれに基づき下絵を板に堀り
摺師がその板で一色ずつ色をすり重ねる
という工程が必要です。
版画だけでなく、扇子、団扇、手ぬぐいや、
着物の柄にまで浮世絵の図柄は広まりました。
浮世絵は庶民が日常生活の中で
自由に楽しむことが出来たのですね。
徳川家康など
戦国武将を描いた浮世絵もあり
これからもいろいろ調べていきたいと思います。