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【小林耳鼻咽喉科医院】 世田谷の耳鼻咽喉科 めまい 耳鳴り アレルギー性鼻炎 耳鼻科

岡山城と宇喜多秀家

今日は雨で寒い一日となりましたね。

 

 

耳鼻咽喉科学会の合間に岡山城へ行ってきました。

 

 

第一印象は、

あれ?意外と小さいお城だなと思いました。

 

 

近くから見るとかなり綺麗な外観です。

 

 

岡山城は宇喜多直家が

1573年(天正元年)石山にあった城に入り

その後直家の息子である

宇喜多秀家

 

が隣接する岡山に築城し、

広大な城下町を作ります。

 

関ヶ原の戦いで秀家が敗退後は

小早川秀秋、池田利隆らが城主となっています。

 

 

宇喜多秀家は1572年(元亀3年)

に宇喜多直家の次男として生まれました。

 

父の直家が悪性腫瘍で亡くなったのち

織田信長により手厚く保護されました。

 

1582年(天正10年)本能寺の変が起き

織田信長が亡くなります。

 

1584年(天正12年)

宇喜多秀家は小牧長久手の戦い

大阪城を守り、雑賀衆を撃退し

1586年(天正14年)

羽柴秀吉の九州征伐にも加わりました。

 

さらに1592年(文禄元年)の文禄の役で

朝鮮に出兵。

 

 

1597年(慶長2年)の慶長の役でも

活躍しますが、

1598年(慶長3年)豊臣秀吉が亡くなります。

 

1599年(慶長4年)には義父の前田利家が死去。

 

 

豊臣秀頼の後見役だった前田利家が亡くなったことで、

豊臣家内で派閥抗争が表面化しました。

 

同年豊臣政権下で文禄・慶長の役で活躍した

武闘派の加藤清正

 

 

福島正則

 

ら7将によって、

文治派石田三成の襲撃事件が起きました。

 

事件勃発を受けて、

宇喜多秀家は佐竹義宣と共に石田三成を救出します。

 

豊臣五大老の実力者、徳川家康は

この騒動を仲裁することで、

豊臣政権下で影響力を強めていきます。

 

またそれまで禁止されていた

諸大名との婚姻関係を進め

勢力を拡大していきます。

 

 

1600年(慶長5年)、徳川家康が

会津の上杉景勝を征伐するべく出兵した機を見計らい、

石田三成は毛利輝元を盟主として、

徳川家康を討つため挙兵しました。

 

この関ヶ原の戦いでは

徳川家康率いる約7万4000人(東軍)と

石田三成率いる約8万2000人(西軍)の軍勢が激突。

 

宇喜多秀家は西軍の副大将として、

石田三成や大谷吉継らとともに

17,000人の兵を率い西軍の主力となります。

 

 

宇喜多秀家軍に対した東軍は福島正則軍です。

宇喜多氏と福島氏の対決が、

関ヶ原の戦いにおいて1番の激戦となりますが、

宇喜多秀家の戦いぶりは素晴らしく、

勇猛な福島軍でさえ

容易には討ち破れなかったと言うことです。

 

しかし小早川秀秋の寝返りもあり西軍は敗退、

秀家は薩摩の島津家に逃れます。

 

その後捕らえられて八丈島に流罪となりますが、

前田利家の四女である妻

豪姫から援助を受けながら83歳で没します。

 

一連の流れがわかる展示品が場内にあり

いろいろと勉強になりました。

 

小早川秀秋が21歳で没したのは意外でした。

 

 

これからも学会の際には

歴史をたどっていきたいと思います。